埼玉県内・某ココスにて

この日のお茶会は師匠のシャンティー先生はじめ
“シャンティーいちみ”(←先生命名・笑)のメンバー有志も
駆けつけてくださり、にぎやかで楽しい会となりました。

5全員集合A640

特に「お題」があったわけでもないので
何と無くの女子会ノリ雑談で盛り上がりました。

「何か」に黄昏でいる”やまねぇ”の奥で
妙なピースをしていらっしゃるのがシャンティー先生、
先生の手前にいらっしゃるのは事務局のひろみさんです。
(いつもありがとうございます)
2ひろみさん640

と、言うことで。

この日のメインゲストは右側の純子さんです。
(ちなみに、左側の女性は先生の妹さんです)
3じゅんこさん640

純子さんには男の子のお子様がいらっしゃって
そろそろその子もお年頃…。

なので、そのお子さんとのコミュニケーションの
とり方のアレコレについての会話となったのですが…。

なぜか、大阪のボケ・ツッコミの”極意”とも言える
アホな会話に突入。

「あぁ!なるほど~!!」と、私たち直伝のボケ・ツッコミの
内容を大真面目にノートにメモする純子さんだったのですが…。

ただ。

私たちのアホなボケ・ツッコミの何某よりも
真面目に「笑い」に取り組む純子さんそのものが数倍面白い!
って思いますケド(笑)。

大丈夫。

大抵の場合は、”わが子”の方がよほど”親”を見ていますから(笑)。

子供は意外と”おとな”だし、”分かっている”ものです。

ただ、それをいちいち親に向かって表現しないことが多いんですよ。

その”表現しない理由”はその環境やその子の個性により、
マチマチなので、「コレ」っていうのは難しいのですが。

あと、「自分が思うカタチ」と「相手の持つモノ」が
一致していないこともありますよね。

子供とは言え、個性を持つ一人の”人”であることに変わりありません。

ただ、大人社会で生きていくにはまだ未熟な部分があるだけです。

なので、その部分において、親は”先人者”として
「その子らしさ」を「見つけてあげる」作業が必要な場合も
ありますよね。

その辺は「様子見ながら」で、まさに
それこそが子育ての一つの作業だったりしますよね~(笑)。

厳密には「子育てに正解はない」、と先輩諸氏にも太古から
言われていることではありますが、これはすなわち
失敗もない、ということですよね。

「この伝え方はこの子には合わなかったようだ…。
では、こっちの方法でやってみよう!」って感じですかね(笑)。

さらに、自分は”いいなぁ~”って思っても、はたして
相手(子供)も同意かどうか、ってところもありますし。

とにかく「お互いにどうか」ってことです。

これは恋人同士でも夫婦でも友達でも共通のことですよね。

とは言え子育てにおいては
“ならぬものはならぬ”ってところは肝でしょう。

ここが全ての軸になると思いますし、この軸の置き所が
親の責任といっても過言でないと思っています。

あとは、二人の幸せを”世の中の何か”に当てはめない方が
案外、楽に過ごせるかもしれないな…って思います。

例えば、ホームドラマで見るような団欒とか。
「理想的だなぁ~」って思えるような知り合いの様子とか。

ああいう風景は分かりやすくて理想だけれど、
「切り取られた結果の一つ」だと思うんです。

ドラマにいたっては
「ありそうでなさそう・なさそうでありそう」
(ある種のファンタジー=夢)だから、観る人がいるわけで。

まぁ、場合によっては「参考になる」というところかな。

いずれにしても「自分の現実」でないことは確かでしょう。

なので、自分自身の作業としては、
自分の思う「幸せ」と今の「現実の幸せ」を
確認してみるのも大切だと思います。

例えば、会話無く無機質に感じる現状が、実は
二人でのんびりと過ごせている平和な時間だった…
ということもありますからね。

私たちは誰しも、
日々目に映る出来事や過去の出来事からの学習や
トラウマなどから来る感情のクセなどなど、
無意識に勘違いしていることもあると思います。

幸せのカタチは無限で尽きることもありません。
正解も間違いもなく、その時代や状況により変化もします。

ですので、「幸せ」というものへの概念自体を
時折見つめ直してみるのも大切ではないかな、って思います。

まぁ、「他人様が楽しいと感じることが必ずしも
自分が楽しいと感じるわけでもない」ってオチなんですケド(笑)。

そうそう。

一生懸命メモをとり、息子さんとの新たな
コミュニケーションに挑んだ純子さんの後日談ですが…。

見事に「スベりまくり」だったそうで!(笑)

そう。

大阪の笑いは
「スベってなんぼ」「ハズしていくら」です。

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