さらに詳しいプロフィール(主にもりねぇ編)

はじめまして、”やまねぇ” と “もりねぇ” と申します。

 

私たちは「やまもりねぇさんず」と呼ばれている、周囲数名にだけ、

とても有名な二人組のユニットです。

 

やまねぇは、主に「システム担当」で、

もりねぇは、主に「しゃべり担当」です。

 

このコーナーでは、もりねぇの「人生紹介」を

ダイジェスト版でお届けしようと思います。

 

ちなみに。

 

「職人さん」っぽいやまねぇは無口に作業ばかりしていますが、

思い出したように突然しゃべったりすることがありますので、

そのうち、やまねぇの「人生紹介」も、追記するかもしれません。

 

では。

 

大阪のお姉さんの話は長いので、

心して、お時間のある時にお読みくださいネ。

 

もりねぇの人生紹介(ダイジェスト版)

私は4人家族の長女として、大阪に生まれ育った。

 

母と妹は霊感が強く、やれ「金縛り」だの「白い着物の女性」だの

「亡くなった祖母」だの何だの、見えない世界の住人が

日常に密接だったこと以外は、昭和の時代の、どこにでもあるような

平凡な家庭であったにちがいない。

 

子供の頃の私は、魔法とか魔女とか魔法使いとか、 そういう物語が大好きな女の子だった。

「魔法が使えればいいのに」とか、

「きっと本当に魔法は存在するはずだ」とか、

「その路地を曲がると、不思議な魔法のお店があるのでは?」とか、

そんなことばかり考える子だった。

 

この頃から「努力せずに楽したい」と考えていたのだろうか?と

思えてならないが、とにかく、ある日とうとう

「自分は魔女になるんだ!」と鼻息も荒く、一大決心する。

 

これには理由がある。

 

それは、「私が魔女になってしまえば、魔法が使えない

という悩みから解放される」と確信したからに他ならない。

 

私は、少し「こらえ性」の無い子だったのだろう。

 

「魔法が使えないということを我慢する」というのは

悩みであり苦痛だったようだ。

 

とにかく、私は魔女になるために「どうすれば良いか?」

と考えた。

 

あらゆる物語を精査し、「まずは魔法の薬を作ろうか・・・」

とも思ったが、いかんせん、材料がいけてない。

 

大抵は「こうもりの羽」とか「トカゲのしっぽ」とかが必要で、

これを集めるとなると、その当時の私にはなすすべがなかった。

 

いや、こうもりはその辺を飛び回っていたし、

トカゲもその辺を闊歩していたが、

「それを触ることが、気持ち悪かった」のだ。

 

第一、捕まえたとしてトカゲはともかく、こうもりの羽を

もぎ取るなんて、考えただけでもありえないのである。

 

心の底から魔女になろうと決心したのだから、

「そこは根性を出して努力するべきところだろ?」と思うのだが、

いかんせん、私は努力とか根性とかを持ち合わせた子供ではなかった。

 

そして、生き物にはちょっぴり優しい子だった。

 

そこで私は、

「そのうち、私がやるべき時になれば、自然にそうなるだろう」

と考えた。

 

こういうところは、普段から見えない世界が身近だった分、

神の意思とか時の流れを組み込んだ考え方が出来る子だった。

 

そして、それらを自分の都合よく解釈できる子だった。

 

そこで、

「もっと簡単に手っ取り早く出来ることはないか」と考えた。

 

よほど楽して生きていく事に執着していたのだろうか?

自分でも少し恥ずかしい子供だなぁ、と思う。

 

で、私は次に「ほうきで空を飛ぶ」ことにした。

 

これのどこが簡単かと言えば、材料が「ほうき」だったことだ。

 

ほうきは家にあった。

 

しかし、当然ながら、物語の魔女が使うような、

先がボアっとした形のではなく、先の平べったい、あの、

家庭用ほうきである。

 

さすがに子供とは言え、家庭用ほうきでは少々頼りない気はしたが、

「まぁ、いいか。何とかなるさ」と思った。

 

つまり、ほうきの種類よりも、自分が早く空を飛べるように

なることの方が、その時の私には数十倍も重要なことだったのだ。

 

この頃からすでに、やや大雑把で楽観的で、ご都合主義だったようだ。

 

とにかく、準備が出来たところで、早速、私は実行に移す時が来た。

 

私は夜の近所の公園でほうきに乗る練習を始めた。

 

なぜ、夜だったのかといえば、他の子が遊んでいる時間に

練習するのは、さすがにバカにされると思ったからだ。

 

思考はちょっとアレだったかもしれないが、

私はとても常識的な子供だった。

 

しかし、

「空を飛ぶというのは、魔法の中でも難易度が高いのでは?」

と思うのだが、いきなりこの大技から始めようとする時点で、

全く、コツコツと努力をするというような価値観とかは、

なかったのだろう。

 

さらに後々読んだ何かの本にも

「日本人は、難しいことが簡単に出来ると思う、悪い癖がある」

と書いてあったが、まさに、その日本人気質を兼ね備え、

それを地で行くような女の子だったことに間違いないだろう。

 

そんな私の魔女修行は、

短時間であっさり終わりを迎えることになる。

 

やや奇行とも思える娘の行動を心配した母が、

夜の公園に「そんなことは止めるように」と、

説得に現れたのだ。

 

私は、大好きな母を思いやり、

魔女になることは断念せざるを得なかった。

 

私は案外、親孝行な娘であった。

 

そして心のどこかで

「空を飛ぶのはちょっと無理かも?」

と思い始めていたのも事実だ。

 

私はとことん空想家というわけでもなかった。

 

総じて、何につけても中途半端な子供だと言える。

 

それから、多感な中学生時代に突入するが、何故だか私は周囲とはあまりなじめず、いじめにあい始め、とどめに、教師からのいじめにも合い、心が折れた。

私は担任の社会科の男性教師と、国語の女性教師の

いじめにあっていた。

 

例えば、授業での研究発表などがあると、

私だけ発表させてもらえず無視された。

 

別にそんなものは発表したくなかったので、それは良いのだが、

「私だけ」というところが引っかかった。

 

「宿題の提出が一日遅れた」という理由で、

受け取ってもらえなかった。

 

「宿題を忘れた私が悪い」と思いつつ、他の子はそんなこと無いのに

「私だけ」というのが引っかかった。

 

私は演劇部に所属していたのだが、ある日突然、退部扱いになった。

 

友達が家にやってきて「先生に持っていけと言われた」と、

退部扱いにするという旨が記入された用紙を届けてくれた。

 

このときの友達の困惑したような、泣きそうな顔を、今でも覚えている。

 

私はこのとき、辛そうな友達の様子に、何故か申し訳ない気がして

「ごめんね」と謝った。

 

とは言え、私には全く退部になるような心当たりは無かった。

 

ただ、いつも私をいじめていた国語の先生が、

クラブの顧問になってまもなくの出来事ではあった。

 

それでも私は納得がいかず、私にしては珍しく、

この処遇を取り消してくれるように、先生に何度と無く食い下がった。

 

第一、私には心当たりもないし、私の何がいけなかったのか

理由を聞いても教えてもらえなかったし、何より私は

演劇が好きだったから、辞めたくなかった。

 

くる日もくる日も、「お願いします」「お願いします」と

半泣きになりながら先生に頭を下げ続けたが、

先生はニヤニヤしながら「アカンなぁ(無理だなぁ)」と言うばかり。

 

さすがに、あまりの惨めさに耐えかね、精根尽き果てて、

私はもう、先生にお願いしなくなった。

 

よく考えてみれば、そんな先生が顧問のクラブに戻っても

「何の良いこともない」と、自分に言い聞かせた。

 

そして、私がお願いしなくなって2~3日してから、

その意地悪な国語教師が、にこやかに、わざわざ声をかけてきた。

 

「何や、もうええんか?(何だ、もうお願いしないのか?)」と。

 

私が諦めた頃を見計らって、わざと声をかけてきたのだ。

 

さすがにこの仕打ちには、絶望にも似た、怒りにも似た、

何とも言えない感情がこみ上げた。

 

しかし私は、その感情を懸命にこらえて、最上級の笑顔で

「はい!もういいです!(ニコニコニコ☆)」と返事をし、

「一体、私のどこにそんなものがあったのか?」というような

自尊心を振り絞り、何事も無い素振りでその場を去るのが精一杯だった。

 

その先生に、泣き顔だけは見られたくなかった。

 

しかし、先生に背を向けた私は途端に悔し涙がこらえきれず、

顔はグシャグシャになり、すれ違う他の生徒がビックリするほど

だったので、きっと先生にはバレてたとは思うが。

 

と、そんなこんなで。

 

このときに自尊心を振り絞ってしまったからか、

その後の私は自尊心をことごとく失い、死ぬことを考えた。

 

私は「どうすれば楽に早く死ねるか?」というのを考えた。

 

そして「飛び降り自殺」を選ぶ事にした。

というのも、近所に高層の団地があったからだ。

 

どういう状況においても私は

「手軽さ」「楽さ」を忘れない子供だった。

 

実際に団地の最上階の非常階段に上がり、両手を手すりにかけ

身を乗り出そうとした瞬間、「結局は死ぬのにも勇気が必要だ」

と悟り、あっさり自殺を断念。

 

私は自分が高いところが苦手だという事を知った。

 

そして、どこまでも、とことん根性がなく、

諦めの良いことにかけては、天下一品だと知った。

 

そのおかげで、まったく惨めで辛い中学生活を

送ることにはなった。

 

そんな挫折感一杯の日常の中、家でマーフィーの成功哲学を

偶然見つけ、人生で初めて「成功哲学」というものと

出会うこととなる。

 

「夢を実現するための法則がこの世にあるんだ!」

 

この成功哲学に衝撃的な感銘を受け、この法則に

魔法のようなパワーを感じ、大いに感化される。

 

この時、マーフィーで人生の再起を狙えれば

その後、問題はなかったのかもしれない。

 

いや、こんな考え方はよそう。

人生に「、、、たら。、、、れば」はないのだから。

 

いずれにしても、

この当時の私には、叶えたい夢を描くほどの気力は無かった。

 

むしろ、苦しみから逃れたいだけだった。

 

すっかりネガティブになっていた私は

「1%でも失敗する可能性があると、それは成功しない」

という、マーフィーの法則で言われていた部分の解釈を、

ものの見事に取り違えてしまう。

 

そう。

 

努力を苦手に感じ、こらえ性のない私は、

この「成功しない可能性」の法則を言い訳に、

元来の諦めの良さに拍車がかかり、

むしろ現実逃避家のようになってしまう。

 

この経験から「人の心理」を不思議に感じ、ユングやフロイトなどの

心理学にも傾倒し、占いやおまじないに凝り始めるようになって、

ますます、スピリチュアルでオカルトな女の子になっていった。

 

こんな私を心配したのか、母は「これからの時代は手に職」

ということで、現実的に生きていけるよう、様々な習い事を

させてくれたのだが、私は、独自解釈のマーフィーの1%の法則を

言い訳に、全て自分勝手に途中放棄していく。

 

ちなみに。

 

こういった自分の性格を決して気に入っていたわけではなく、

むしろ、何事も達成できない自分に、こっそりコンプレックスを感じ、

自分が嫌いになっていった。

 

総じて、どれほど辛い目に遭っても、

「死ぬ気で頑張る、死ぬ気があれば何だってできる」

ということに、気がつかない子供だったと言える。

 

その後の人生は、思いつきと挫折の繰り返しを大いに満喫するものとなった。

高校時代には、中学生の頃の陰気な生活に懲り懲りしていたので、

「明るく陽気なキャラ」を始めに自己設定して、

そう振舞うことに決めた。

 

ところが、私は「加減」というものを知らなかったらしい。

 

そのキャラは、自分で設定しておきながら言うのも

どうかとは思うが、とても私を疲れさせた。

 

まるで「ウルトラマンか?」というくらい

長持ちしないキャラだった。

 

しかし、初期設定してしまったので、「今更変えるのもどうか?」

と思い、「どうすれば上手くつじつまが合うのか?」を考えた。

 

そうして、

「学校で過ごす時間を短縮し、人と接する時間を短縮すればよい」

と気がついた。

 

私は早速、落第しない程度に各科目に独自の出席日数表を作り、

テストで点を稼ぐこと中心の生活を送り、この姑息な通いかたで

見事に3年間をやり過ごした。

 

総じて、努力は嫌いだが、自分が楽をするためには、

変に手間をかけることをいとわない子供だと言える。

 

そんな高校時代の過ごし方のツケは、立派に返ってきた。

卒業が近づくにつれ、何の進路も決まらない私は、

十分に立場が悪くなっていた。

 

そこで、自分に都合の悪いこの現状を何とか回避するべく

「とにかく大学に行けば解決!」と妙案を思い付いた。

 

まったく勉強する気がないところがミソである。

 

早速「大学に行きたいです」と親に相談するも、

そういう性根はあっさり見破られ、当然、大学進学案は却下される。

 

ここで

「自分で働いてでも、絶対行くんだ」という根性などを

発揮できればその後の人生も変わったかもしれないが、

当然、そんな根性を持ち合わせているわけもなく、

大学はあっさり断念。

 

どこまでも、私は諦めだけは良かった。

 

ただ、今のようにニートなどというジャンルもない時代、

私はブラブラするわけにもいかず、仕方が無いのでとりあえず

貿易関係の会社に就職した。

 

しかし、ある日突然「女優になろう」と思い立ち、サッサと退職。

 

以降はアルバイトをしながら養成所に通い始めた。

 

ちなみに女優になろうと思ったのは、

会社に勤めているのが嫌になったからに他ならない。

 

小学校から高校まで演劇部に所属していた私にとって、

芝居の道はとても手軽に進める道だったのだ。

 

総じて、どこまでも「逃げの人生」を送る子供であると言える。

 

逃げの思いつきで始めた割には、芝居の勉強は意外と私の性に合っていたように思う。

役作りに必要な人間観察や心理描写は過去の経緯から、

歳のわりには得意であったし、習い事の権化のような私は、

どの科目もそつなくこなし、また、どの科目の先生方との会話にも

困らない、まるで社交家のようだった。

 

おかげで、先生方からの覚えめでたく、

クラスの中でも目立つ存在となり、良い成績をキープしていた。

 

当然、そんな風だから仕事にも繋がっていくはずで、

「このまま、成功するのか?」というほどの勢いを一瞬感じるものの、

私は重大なことをおろそかにしてしまっていたことに気がついた。

 

そう。

 

私は、高校時代のキャラ設定を解除することを忘れていたのだ。

 

さらに、コンプレックスを隠し持つ卑屈な内面を抱えこんだまま、

私は「人生初とも言える良いこと」に調子にのり、

ついつい自分を大きく見せてしまっていたのだ。

 

実際の私は、とことん自分に自信が無い、挫折感の塊のような

コンプレックスにまみれた人間のままだった。

 

かと言って、そのことを隠し、ハッタリ通せるほどの根性を

持ち合わせてはいなかった。

 

そして、養成所の小さなエリアでは通用するかもしれないが、

外の世界でこんなハッタリが通用すると思えるほど、

ファンタジーな人種でもなかった。

 

「小さな自分を見透かされる恐怖」と「無理なキャラを続ける疲れ」が

どっと私に襲い掛かってきた頃、ちょうど良いタイミングで出会った

男性と結婚。

 

多分、周囲には「これから」と言う時に辞める私が

理解できなかったと思う。

 

しかし、私はそんな皆がポカンとしている顔を尻目に、

役者人生から逃げるように足をあらったのである。

 

総じて、頭打ちする前に、逃げ足だけは速くなったと言える。

 

結婚後は二児をもうけ、専業主婦となる。

時はバブルの絶頂期。

 

私も一端の「奥様」を気取り、やっと「人生巻き返しが図れるか?」

と思っていた矢先、私の思惑とはうらはらに、バブルは勝手に

終了してしまい、ここでも、とんだ目に遭うこととなる。

 

夫は失業、すぐに仕事は見つかったものの、何かストレスが

重なったせいなのか、私はいつの間にか夫からのDVを受けるハメに。

 

さすがに「殺されるのではないか?」という目に遭った時には、

元来のこらえ性の無さを発揮し、子供に害が及ぶ前に離婚、

母子家庭の大黒柱となり、人生初の独立を果たす。

 

この決断だけは正しかったと思えた。

 

長い間失っていた自信を、少しだけ取り戻したかもしれない。

 

その後、大阪の某劇団の制作スタッフとして勤めることとなり、そこで、今の相棒やまねぇと出会うこととなる。

劇団の仕事は18時間の労働もざらで、自宅に帰れない日の方が多く、

そのせいで、小学生だった下の子が精神のバランスを崩しかけて

不登校気味になってしまう。

 

こんな家庭崩壊寸前の状態が続く中、この劇団の経営が行き詰まり、

賃金未払いが続き、家計までも崩壊状態に陥る。

 

このときは、次から次に発生する仕事に追われていて、

また、極度のスタッフ不足から、

 

「もし今自分が辞めたら、多くの人に迷惑がかかる」という

わけの分からない精神状態に陥り、

 

「私が迷惑をかけられている」という正常な思考が

出来なくなっていた。

 

とにかく、同じく生活に瀕するえむりんと相談し、

仕事と生活の両面で、二人(+私の子供二人)で助け合う

共同生活を始め、急場をしのぎながら頑張り続けてしまった。

 

そして、劇団は正式に破産、民事再生の道をたどる。

 

劇団自体は、引き受け先があったので、継続して運営されることに

なったが、身も心も家計も家庭もボロボロになった私たち二人は、

新会社への移行を期に、劇団を退職した。

 

それから暫くは「燃え尽き症候群」のように、無気力状態に陥りながら職安に通い、ギリギリの生活を送るも、先の事など考えることができなかった。

この頃に、引き寄せの法則に出会う。

 

成功哲学とは表現を画してはいたが、つまりは成功哲学と同じ内容の、

この「秘密の法則」は私たちの疲れた心を癒してくれた。

 

しかし、私たちの現実の問題解決には、あまり役に立たなかった。

 

そんなある時、自宅のベランダから見える夕焼け空の美しさに、

「何の感情も起きない私」を発見し、これには愕然となった。

 

夕焼け空の美しさは理解できるのに、

「美しい」という感情がまったく沸いてこない。

 

「私はこれほどまでに痛んでいたのか」と、

自分が可哀そうな気がした。

 

そしてこんな情けない親を持つ子供達に、

一緒にて支えてくれるやまねぇに、申し訳ない気がした。

 

このことが自分を見つめるキッカケとなり、

「これではいけない」と、やっと無気力状態から脱却したものの、

再就職などはせず、二人で独立起業を決意した。

 

もう、どこかの誰かに束縛されるのも、時間が奪われるのも嫌だった。

 

当然、このご時世で資本金ゼロスタートの個人事業は自転車操業、

相変わらず生活は不安定であるが、時間と心の自由は回復していき、

笑い声の耐えない家庭を取り戻すことができた。

 

そんなある日、やまねぇは一冊の本を読み始めた。

それは「成功哲学」の本だったが、私はさして興味がなく、

むしろ何の効果ももたらさない「成功哲学」や「引き寄せ」には、

もう、いい加減うんざりもしていた。

 

しかし、やまねぇが伝えてくる本の内容はとても具体的で、現実的で、

私が思うような成功哲学とは違うようにも思えてきた。

 

私はだんだんと、やまねぇの解説を聞くのが楽しみになり、

とうとう、やまねぇが読むのを待ちきれずに、

自分でその本を読み始めてしまった。

 

自分自身で読むその内容は、私にとっては天恵、あるいは天啓に近く、

成功哲学を実践することが最も「楽に生きて行ける方法」だという事を

私が理解できた瞬間だった。

 

私は、はるか昔、魔女になりたかった頃のことを思い出した。

 

「私が魔女になりたかったのは、きっと、魔法を使って

思い通りに生きたかったから。」

 

「空をほうきで飛ぼうと思ったのは、

自由に行動し、生きていきたかったから。」

 

その日から私は猛烈なスピードで、世間で知られる有名な

成功哲学を読み続けていき、同時に、出来ることは実践してみた。

 

確かに、成功哲学で実践する内容は

今までの自分の考え方を変える必要はあったけれど、

それは、ほうきで飛ぶことよりもはるかに現実的で、

効果がある、楽な作業だったと言える。

 

実際、不思議な現象がおき始めた。

 

まず、仕事が順調に回りだし、子供達の人生それぞれにも

幸運が舞い込み始めた。

 

さらに、とても素晴らしいスピリチュアルの先生

加藤Shanthi徳子先生にも出会え、

そのことが更に私たちのステージを上昇させてくれた。

 

気がつけば。

 

我慢が足りず、こらえ性がなく、努力が嫌いで

逃げてばかりでコンプレックスを抱え込んだ私は、

いつの間にかいなくなっていた。

 

何の苦痛もないまま、私は、私を変えることすらもせず、

快適で楽な人生を生きる方法を手に入れることができていた。

 

ついでに悩みまで激減していたのにも我ながら驚いた。

 

ハッキリ言って、ダメダメな人生を歩んできた私が、

今では、人生がゲームだと気がつき、どんな問題が発生しても

楽みながら好んで解決するようになり、この「楽な生き方のコツ」を、

私のように「勘違いが多い人」に伝えたいと思うようになった。

 

スピリチュアルな世界を信じ、神の存在や宇宙意思の存在を

信じることの出来る人こそ、現実世界の幸せを満喫できる、

一番近い位置に立っている人なのだと、気がついて欲しいと思っている。

 

私たちは自身の体験から、物質世界とスピリチュアルな世界を繋ぐのは、

様々な成功哲学だと実感している。

 

多分、多くの人は私よりも努力家だと思うし、

私よりも根性があるだろうし、私よりも賢いと思う。

 

だから本当に、そういった「やれば出来る人」が、

この成功哲学を知らないのは、もったいないこと、と思うから。

 

総じて、成功哲学とは、宇宙の法則を利用した生き方論であり、

考え方一つで楽に生きていくための、究極の魔法だとも言える。

 

とまぁ、こんな感じで、 「もりねぇの人生紹介・ダイジェスト」でした~。

 

ところで。

やまねぇの「人生紹介も読みたい!」という奇特な方は、

「やまねぇの人生を知りたい」と明記の上、メールをくださいね。

 

多分、ご要望が多くなれば、無口なやまねぇも人生を

語るのではないかな、と思います。

 

決して、やまねぇは「語らないわけではない」ので。(笑)

 

ではでは。

 

貴重なお時間を使って、最後までお付き合いいただき、

本当にありがとうございました。

 

また、ブログ本文でお会いしましょう!

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