そうそう。
何かいやな目にあったり、嫌な人に出会ったりしたら、
これは大きなチャンスやから、出来るだけその
タイミングは逃さないようにした方がいいかも。
つまり、自分を見つめる機会をいただけるのは
本当にありがたいことやと思うから。
こういうことがあると
なぜ自分はこれほどまでに嫌に感じるのか、
ということをじっくりと考えることが出来る。
考えた先には、自分に問題があることに
気が付くことが多かったりするねん。
自分が悪い、ということではなく。
例えば、嫌という感情が起因する
根本の問題点と言うのか…。
そいういうのが解決したり判明したり
すると、それだけでも一つ苦しみから
開放されることにもなるから、
結局は幸せを感じられることにもなるし。
それによって、その後のあり方が
変わってきたり進歩があったりするもので。
なので、これは幸せを体験するための
セレモニーみたいなもんやと思う。
この嫌な出来事が幸せの合図やと分かれば、
嫌なこともドンと来いになるから、
人生もかなり楽しく幸せになるし。
嫌は嫌でえぇと思うねん。
ただ、何故自分はこの出来事を、
この人を嫌だと感じるか?
それを探ってみることは大切やと
思ってる。
その根本が分かれば、自分の幸せが
何なのかがハッキリしてくるから。
そのとき、あらためて幸せの中に、
過ごしている自分に気づき、感謝できたりもする。
まぁ、嫌なことは幸せを深くかみ締められる
出来事やと思うねん。