「何事も自分の物差しで測ってはいけない」と
昔、学校の先生にきつく言われたことがある。
当時は疑うこともなく
「自分本位で物事を考えたらアカンのやなぁ」
くらいにしか思わず、自分本位な自分自身を反
省したりもしたなぁ。
けど、今になって、ふと、疑問に思ったりするんや。
「じゃぁ、一体、どの物差しでどう測るのがいいのか」
ってことや。
あのときに、もう少し小生意気な性格やったら
よかったのに、って思うなぁ(笑)ホンマ。
結局、誰しも自分の物差ししか持ってないんと
ちゃうかなぁ、極論かもしれへんけど。
だって、他人の価値観に感したり理解したりは
ある程度できるやろうけど、その人そのものの
視点や思考を持つことって、誰か出来るんやろうか。
(特殊な能力を持ってるような人なら可能かもしれへんけど)
実際の平凡な人は、
自分のことしか結局は認識できへんねん、って。
ただ、その物差しが一本で、メモリも一種類で
長さも少ない、っていうのは具合が悪いかもしれへん、
ってことやな。
例えば未だに建築や和装関係では日本古来の
寸歩単位尺やら寸やらが使われてる。
つまり、時には相手に通じる形で物事を
判断する必要があるということと、郷に入らば郷に従えで、
その人その人それぞれに、違った物差しが存在している
ことを知れ、ということは大切かも知れへんとは思うけどな。