何がどう等価なのか

例えば、靴職人がいるとしよう。

で、その職人さんは、靴を作ることは得意やけど、
靴を売るのは少々苦手やったとすると。

職人さんは、靴を作って欲しいという
依頼があれば、金額と希望に応じた靴を
作ってるんや。

でも、その職人さんは、心の底から靴を作るのが
好きやから、ついつい、金額以上の手間を
かけてしまうんや。

当然、お客さんは大喜びや。

ところが、本来であればその靴がどれ程の
価値があるかを深く考えてしまうお客さんも
いたりする。

結局、その「自分が思う価値」通りの金額が
払えないお客は、「金額以上に価値のある靴」を
手にする喜びよりも、職人さんに対して
「本来、支払うべき金額が払えない自分」を情けなく思い、
職人さんに「申し訳ない」と思う気持ちが強くなるんや。

ただ、そんなお客さんに職人さんは
「履いてくれる人がいないと、作った靴も
かわいそうでしょ」と、善意を向けてくれるんや。

要は、この職人さんは
「自分がなぜ、靴を作っているのか」を
悟っているんやな。

必ずしもお金の額が等価とはならないケースも
あるんやな。

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