「このくらいでいいやろう」というのは、
ある見方をすると、動続けるのを止めることみたいな
ものかな、って思うねん。
それは勝手に自分で設定するようなものとは本来は
違うのかなぁ、と思ったりもする。
特に投げやりというのか、出鱈目というのか、
やれるのにやらない、みたいな。
ただし「このくらいで、いいや」に
満足感や充実感があれば、それはそれで
いいような気もするケド。
「このくらい」という定義には必ず「枠」が
存在している。
例えば、○時まで、○日まで、という期限。
「時間」自体は当然存在するケド、その仕事はこの
期限までに終わらせなければいけない、という
つまりその仕事のタイムリミットという枠なわけで。
という事は、それ以降はその仕事に関わる作業は
存在しないことになる。
極論で言えば、ということやケド(笑)。
まぁこういう「期限」が自他とも認識できる状態は
共通のルールみたいなものやから良いと思う。
むしろそれぞれの人が自分勝手な時間の流れで
作業していては、今の現実社会は成り立たないので。
ただ、「人生」となるとどうなんやろう?
って考えてみる。
まず、必ず期限はある。
寿命があるからなぁ。
でも、それが「いつ」っていうのは、普通の人なら
分からへんわけで。
この場合はどうなんやろう、とか思うねん。
一応、今日明日の自分の命に関して、
危ないというような心当たりが無い人の場合。
たいていの人は明日がある(つもり)やし、
10年後を想定(つまり、10年後が存在している前提)
していたりもする。
でも、実際のところ、どうなるかなんて
分からへんことは、誰もが知っていることで。
自事故に遭うかもしれへんし、
心臓がいつ止まるかわからへん。
まったく予測不可能や。
そう思うと「人は当たり前に生きていない」って、
本当に思う。
つくづく、ガンジーさんの言葉は素晴らしいな、
って思う。
「明日、死ぬと思って生きなさい。
永遠に生きると思って学びなさい」
…ホンマ、そうやと思う。
つまりは「今の瞬間を精一杯」。