モテと愛されって、ちょっとニュアンスが 違うかな、
と思ったりします。
やはり、幸せに通じるのは “愛され力”ではないかな、と。
生まれつき見た目が有利な女性って いるものです。
ただそれも結局は人生で見れば 一過性なことが
多いんですよ。
ずっと美しさや魅力を保っている女性って、
やっぱり影で努力をし続けているんですよね。
外見(生まれつき恵まれた容姿)だけに 支えられた
モテっていうのもあります。
これは、誰にも(本人にも)どうしようもない
ある種の天のギフトとでも言いましょうか…。
勝手に周囲が盛り上がってくれるわけですから。
ただ、そのギフトを本人が どうとらえるか、です。
蝶よ花よの時代が「自分のどこの何に」
支えられているかを、察知できるかどうか。
それによって、人生の幸せっていうのか
今ある幸せがまったく違ったものに
感じられてくると思うんですよね。
本当の自分の幸せって、愛される幸せって。
目に見える出来事や数(モテる、モテない)
ではないですよね。
自分の幸せを考えるとき、
あなたなら何を望むでしょうか。
あなたの本心を理解し、
あなたの知ってほしいあなた自身を愛してくれる、
そんな男性を望むのではないでしょうか。
つまりは内面ですね。
心構えや生きる姿勢、人となりなんですよ。
それがあっての側(肉体)です。
あとは個性。
実際、
「何であんなイケ面にあんな彼女が…」
というケースも、珍しいことではありませんよね?
そういうことなんですよ。
誰が何を好むかなんでわかりません。
例えば。
世間一般から理解されなくても、
ただ唯一の理解者を求め生きていく。
もしも運命的な出会いを果たしたなら、
迷うことなくその人のために生きていく。
それもアリかな、と思うんですよ。
要は
「誰にどう愛されたいか」
ということでしょうね。
そこを明確にしていくことが、
「愛される女」になるための
一つのエッセンスでしょう。