今年は正念場かも

先日の内容…というより、先生にお会いした頃から変わらず
ずっと聞いていることの一つに、「大切な年」というキーワードがあります。

いつでも大切でない瞬間などありはしませんんが、特に目に見える
形での成果として、現れてくるのがここ数年での在りようだと
いう事ですね。

そういう意味での「大切な年」は、もうすでに始まっていますし、
昨年までの「在りよう」が成果となって表れてくるような感じです。

実際に私たちの周囲でも、去年までの頑張りの成果が出ている人が
多数存在していいますので、結果が出てくる年であることを
驚きつつも実感しています。

これは「気が付く人」と「そうでない人」に分かれてくるかもしれませんが、
本人の自覚に関係なく起こるようです。

今年は今後10年を左右するかもしれないくらいの特に重要な年に突入
しているようです。

今年からの三年間、まずは今年一年をめどに、とにかく
「継続してやる」ということを心掛けてみるといいかもしれません。

スクールのワークでも、各々が目標とする大きなビジョンを軸に
それぞれがその軸に沿ってこの一年間の自己の目標を立て、
チェックシートなどを作り、毎日欠かさず意識的に行うということを始めました。

もちろん、結果として立てた計画のすべてをちゃんと遂行していくことが
大前提ですが、むしろ「毎日欠かさずにやる」つまり「あきらめて止めてしまわない」
というトコロが最大のポイントになっています。

あとは、「どういう自分でありたいか?」ということを、とにかく明確にし、
「そうで在るように振る舞う」ということは大切かもしれません。

スクールにおいては明確に「今後十年が決まるほどの年」と明言されていますが、
大きな流れの動きを多くの人々が感じている中、これはやはり
多くの人々にとっても同じことが言えるのでないかな、と、私は受け止めています。

今までの在りようも大切なのですが、過ぎてしまった時間に想いを馳せても
何も変えることはできません。

今から。

今までやっていなかったこと、やりたかったこと。

そういったことがもし、あなたの心の中に存在するのなら、今からすぐに
始めるといいと思います。

今、その結果を受け取るのは難しいのかもしれなせんが、今、そこに向かって
できることを始めてみてください。

自分自身を取り戻せる時代に入ったのだと思います。

道志の湯へ行ってみたよ(神奈川県)

この日は埼玉から大阪に帰る途中に通りかかった、
神奈川県の「道志の湯」へと立ち寄りました。

相模原と山中湖を結ぶ国道413号線で案内看板を発見、
その看板が示す沢道をクネクネと進むこと数分…。

夕方とはいえ街灯も少ない暗い山道、少々不安な気分になってきたところで、
ようやくそれらしき看板が(笑)。
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うっすらと雪が残る夜の山道に見える温泉の看板は、
それだけで何故か心がホッと落ち着きます。

施設は予想していたよりもこじんまりした佇まいで、
さらにワクワク感が高まります!
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規模の小さい温泉は地元民の”銭湯”となっている場合がほとんどで、
しかもこの日は平日、かなり「入浴人口密度」は低いはず(笑)。

靴箱の鍵を受付に渡すと、脱衣所のロッカー・キーが渡され、
精算は帰りに行うシステムです。

この「道志の湯」は村営の温泉で、一般・大人の入浴料金は600円、
村民だけでなく横浜市民であれば割引料金があるようです。

館内案内は、こんな感じ。
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どうやら男湯・女湯が固定のようですね…。

入浴に関する総面積(浴槽の広さや個数)に、古い時代の名残を
感じずにはいられませんね、男湯の方が広いし!(笑)

まぁ、ほとんどの温泉がそうなんですケドね。

特に古い温泉などは、ほぼ、男湯の方がすべてに
おいて、優遇?されていますよね。

ただ、例えば小さな子供がいる家族連れなんかの場合、
子供はたいてい男女問わずお母さんとの入浴が大半で、
まず、それだけで密度が上がるのにー、とか、思っちゃいますね。

ですので最近では、男湯と女湯を日替わりあるいは週替わりで
入れ替えるところも増えてきているようですが。
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と、男性優位のシステムに対してのぼやきはこのくらいにして、
温泉に話を戻しまして(笑)。

予想通り「ほぼ貸し切り」状態での入浴です。
平日の地域密着型温泉の最大の楽しみはココにあるのですよー!

手足を存分に気兼ねなく伸ばしての入浴は、もう、それだけで
長旅の疲れが癒されちゃいますー。
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「道志の湯」の泉質はカルシウム・ナトリウム硫酸塩泉、
温泉臭はほとんどなく、ヌルヌル感もなく色は透明です。

たまに衛生面の配慮により、塩素臭のある温泉もあるのですが、
道志の湯では塩素臭は感じませんでしたね。

さて、お目当ての露天風呂は…
ヒノキと陶器の壺?風呂でした。

陶器製の壺風呂?は3個ありましたが、この日の稼働は1個のみ、
源泉温度が低くボイラーで沸かして使用しているようなので、
おそらく省エネというトコロでしょうね、公共施設だし。

近年リニューアルしたということで、まだ新しい感のある
ヒノキは綺麗で、ヒノキの良い香りを堪能できました。

ただ、コチラの露天風呂、しっかり壁と屋根に覆われているため
空は全くと言ってよいほど見えず、その空間自体は広いものの
開放感はありません。

ただただ外気と石床の異常な冷たさを満喫(要は寒い室内)です(笑)。
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お湯に匂いも色も感触も感じないので、入浴中は少し頼りない
気がしますが、上がってみればしっかりと体の芯から温っていて、
さすが温泉!といった感じで、しっかりと長旅の疲れも取れました。
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館内には休憩スペース、マッサージチェアー(有料)や食堂、
お土産ものの販売スペースもあります。

きっと、地元の方々の憩いの広場となっているのでしょうね。
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幸せなひと時を過ごさせていただきました。ありがとうございましたー!
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**愛車YAMAMORI号で、いつでも・どこでも・どこまでも!**

私たちが道中で見つけた「オモシロイ」をテキトーに綴った旅日記
「大阪発~車中泊で行く!やまもり計画珍道中」はFBにて公開中~!

ファーマーズキッチン・コドモにて

この日のお茶会ゲストはRちゃん。
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主婦業と仕事と自由人をバランスよくこなすRちゃんとは、
10年くらいのお付き合いになります。

Rちゃんはプロのライターで、本も出版してたりします。
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この日はRちゃんと数年ぶりのランチ・タイム。
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「よく深夜の事務所でイロイロな事、語ってたよねー」などと、
昔話に花を咲かせました。

実はRちゃんは以前私たちがいた劇団では、桃井文のPNで公演の原作書いたり、
劇団の後援会の機関紙にはボランティアで記事を書いたり編集なんかもしてくれてたな…と、
今、思い出した(笑)。

その頃はYAMAも私もホント必死で、よく、愚痴なんかも聞いてもらってたな…。

今では懐かしい笑い話。

ただ、当時のRちゃん的には一人苦手なスタッフのコがいて、
そのコとの思い出は今でも軽くトラウマな感じらしいデス(笑)。
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コチラの写真のYAMAとRちゃん、なにやら深刻そうですが…
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話しの内容はどーでもいー事だったりします(笑)。
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長らくゆっくりと会う機会もなかったけれど、久しぶりに
お話できて楽しかったなぁ。

忙しいのに時間作ってくれて、Rちゃんアリガトねー!
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ジャッジを手放す

そもそも私たちがシャンティ先生の学校に正式に通いたいと
思った一番のきっかけが、この「ジャッジを手放す」という部分でした。

人は意識的に、あるいは無意識的に他人をジャッジし続けています。

心が「ジャッジは疲れた、もう止めて」と悲鳴を上げていることに
ある瞬間、仮に気が付いたとしても、今までも惰性や慣性、あるいは
単純な条件反射の感情によって、時に、自力ではどうすることも
できずに、ただ雪だるま式に心の痛みを広げていくばかり…。

そんな状況に落ちいっている自分たちは、身も心もボロボロで、
その時点で、もう、自力ではこの悪循環を止められないような
気がしていた…のかもしれません(笑)。
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人はその都度「体験」をするために人として生まれるのですが、
ワンネスから生まれた瞬間から、例えば今回の地球人として生まれてくるまでの
間の人生経験による「クセ」を、沢山身につけた状態があります。

前世での記憶は基本、リセットされているのが普通ですが、
心の癖(嗜好や感情や時には生き方の洗練度なども)が魂レベルで
刷り込まれている…これは遺伝子の話にもつながっていきますが、
とにかく、生きてきた情報は蓄積されているのです。

前世という過去だけでなく、それは今回の人生でも
日々、その蓄積は行われています。

そういった人としてのスキルのようなものは、生きる上で
必要なものの一つです。

ただ、核になる部分に本質=その人の神性があるとして、
そういったクセはその表層を包むような状態です。

ですのでその相手や、あるいは出来事をあまりに表層の部分だけで
判断してしまうと、真実が違ってくる、ということです。

ジャッジを手放すには、表層の内側にある本来の神性、
それそのものを感じる、本質を見るという練習をすることが必要です。

さらに本質は思考で理解できるものではなく、
感じることしかできないものである、ということです。
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こういった内容を学び進め、ジャッジそのものを理解し、
正しく手放すその方法を訓練していくことで、
私たちは徐々に手放せるようになり、苦しみから解放されました。

まだまだ完璧ではなく、おそらく一生、この訓練の連続に
なるのですが(笑)、少なくとも自らがあえて苦しみの連鎖を
生み出すことだけは、限りなく少ないのではないかと思っています。
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どのような苦しみであっても必ず、その根源となるものは
自分の心の内に見出せるものだと、今では実感しています。

それに気がつくことができれば、自分自身の問題を解決してくことが
これまでに比べて、遥かにスムーズになります。

自分自身の本質と神性(宇宙)に気づく

「すべてに共通する本質、つまり普遍のエネルギーが
私たちを存在させている」ということです。

スピリチュアルに詳しいかたはよくご存じかと思いますが、
一般の物理的に理解される細胞とかの意味ではなく、
もっと、細かい粒子単位、「光」とか言われている
そういうエネルギーのことですね。

例えばその「光」を神性とすると、その神性をできるだけ
長く感じるようにしてみます。

瞑想によって自分の神性を感じること、道徳観、思いやりを
高めて、あらゆるものに対して「神性を感じる」ことを実践
していくのです。

まばゆい光が見えたり、高次元の存在からの声が聞こえたり、は
基本ありませんし、そういう不思議も必要ないです(笑)。

ま、人によっては体験するようですが、そういうトコロはさほど
重要ではなく、自分自身が「感じられるか?」あるいは
「感じようとするか?」「感じているか?」が大切となります。

ただ、慣れないうちは思考で理解しようとする場合の方が
多いですネ(私たちもそうですが)。

そういった思考が邪魔をするときは、その思考の本質にも
目を向けてみます。

人に対しては「尊いもの」として接し、その人そのものとして接する、
つまり、その人の神性を感じ受け入れる…ということになるでしょうか。

人に限らず、すべてに対して「そのように振る舞う、接する」ことも
大切です。

本質は、表面上にどのような流れがあっても「じっとある」ということ
です。

まず、自分の本質を感じるために、心地よい感覚を維持して
過ごしてみてください。

簡単に言うと、「機嫌よく、気分よく過ごそう!」ってことです。

でもコレ、周囲からの刺激に依存するものではないのですよ。
「何か楽しいことがあったから嬉しい」とかではなく、
自ら「通常の状態をそうしておく」ってことですネ。

決まったやり方はありませんが、意識しておくことを
訓練することは、ある程度必要かもしれません。