今年は正念場かも

先日の内容…というより、先生にお会いした頃から変わらず
ずっと聞いていることの一つに、「大切な年」というキーワードがあります。

いつでも大切でない瞬間などありはしませんんが、特に目に見える
形での成果として、現れてくるのがここ数年での在りようだと
いう事ですね。

そういう意味での「大切な年」は、もうすでに始まっていますし、
昨年までの「在りよう」が成果となって表れてくるような感じです。

実際に私たちの周囲でも、去年までの頑張りの成果が出ている人が
多数存在していいますので、結果が出てくる年であることを
驚きつつも実感しています。

これは「気が付く人」と「そうでない人」に分かれてくるかもしれませんが、
本人の自覚に関係なく起こるようです。

今年は今後10年を左右するかもしれないくらいの特に重要な年に突入
しているようです。

今年からの三年間、まずは今年一年をめどに、とにかく
「継続してやる」ということを心掛けてみるといいかもしれません。

スクールのワークでも、各々が目標とする大きなビジョンを軸に
それぞれがその軸に沿ってこの一年間の自己の目標を立て、
チェックシートなどを作り、毎日欠かさず意識的に行うということを始めました。

もちろん、結果として立てた計画のすべてをちゃんと遂行していくことが
大前提ですが、むしろ「毎日欠かさずにやる」つまり「あきらめて止めてしまわない」
というトコロが最大のポイントになっています。

あとは、「どういう自分でありたいか?」ということを、とにかく明確にし、
「そうで在るように振る舞う」ということは大切かもしれません。

スクールにおいては明確に「今後十年が決まるほどの年」と明言されていますが、
大きな流れの動きを多くの人々が感じている中、これはやはり
多くの人々にとっても同じことが言えるのでないかな、と、私は受け止めています。

今までの在りようも大切なのですが、過ぎてしまった時間に想いを馳せても
何も変えることはできません。

今から。

今までやっていなかったこと、やりたかったこと。

そういったことがもし、あなたの心の中に存在するのなら、今からすぐに
始めるといいと思います。

今、その結果を受け取るのは難しいのかもしれなせんが、今、そこに向かって
できることを始めてみてください。

自分自身を取り戻せる時代に入ったのだと思います。

ジャッジを手放す

そもそも私たちがシャンティ先生の学校に正式に通いたいと
思った一番のきっかけが、この「ジャッジを手放す」という部分でした。

人は意識的に、あるいは無意識的に他人をジャッジし続けています。

心が「ジャッジは疲れた、もう止めて」と悲鳴を上げていることに
ある瞬間、仮に気が付いたとしても、今までも惰性や慣性、あるいは
単純な条件反射の感情によって、時に、自力ではどうすることも
できずに、ただ雪だるま式に心の痛みを広げていくばかり…。

そんな状況に落ちいっている自分たちは、身も心もボロボロで、
その時点で、もう、自力ではこの悪循環を止められないような
気がしていた…のかもしれません(笑)。
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人はその都度「体験」をするために人として生まれるのですが、
ワンネスから生まれた瞬間から、例えば今回の地球人として生まれてくるまでの
間の人生経験による「クセ」を、沢山身につけた状態があります。

前世での記憶は基本、リセットされているのが普通ですが、
心の癖(嗜好や感情や時には生き方の洗練度なども)が魂レベルで
刷り込まれている…これは遺伝子の話にもつながっていきますが、
とにかく、生きてきた情報は蓄積されているのです。

前世という過去だけでなく、それは今回の人生でも
日々、その蓄積は行われています。

そういった人としてのスキルのようなものは、生きる上で
必要なものの一つです。

ただ、核になる部分に本質=その人の神性があるとして、
そういったクセはその表層を包むような状態です。

ですのでその相手や、あるいは出来事をあまりに表層の部分だけで
判断してしまうと、真実が違ってくる、ということです。

ジャッジを手放すには、表層の内側にある本来の神性、
それそのものを感じる、本質を見るという練習をすることが必要です。

さらに本質は思考で理解できるものではなく、
感じることしかできないものである、ということです。
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こういった内容を学び進め、ジャッジそのものを理解し、
正しく手放すその方法を訓練していくことで、
私たちは徐々に手放せるようになり、苦しみから解放されました。

まだまだ完璧ではなく、おそらく一生、この訓練の連続に
なるのですが(笑)、少なくとも自らがあえて苦しみの連鎖を
生み出すことだけは、限りなく少ないのではないかと思っています。
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どのような苦しみであっても必ず、その根源となるものは
自分の心の内に見出せるものだと、今では実感しています。

それに気がつくことができれば、自分自身の問題を解決してくことが
これまでに比べて、遥かにスムーズになります。

自分自身の本質と神性(宇宙)に気づく

「すべてに共通する本質、つまり普遍のエネルギーが
私たちを存在させている」ということです。

スピリチュアルに詳しいかたはよくご存じかと思いますが、
一般の物理的に理解される細胞とかの意味ではなく、
もっと、細かい粒子単位、「光」とか言われている
そういうエネルギーのことですね。

例えばその「光」を神性とすると、その神性をできるだけ
長く感じるようにしてみます。

瞑想によって自分の神性を感じること、道徳観、思いやりを
高めて、あらゆるものに対して「神性を感じる」ことを実践
していくのです。

まばゆい光が見えたり、高次元の存在からの声が聞こえたり、は
基本ありませんし、そういう不思議も必要ないです(笑)。

ま、人によっては体験するようですが、そういうトコロはさほど
重要ではなく、自分自身が「感じられるか?」あるいは
「感じようとするか?」「感じているか?」が大切となります。

ただ、慣れないうちは思考で理解しようとする場合の方が
多いですネ(私たちもそうですが)。

そういった思考が邪魔をするときは、その思考の本質にも
目を向けてみます。

人に対しては「尊いもの」として接し、その人そのものとして接する、
つまり、その人の神性を感じ受け入れる…ということになるでしょうか。

人に限らず、すべてに対して「そのように振る舞う、接する」ことも
大切です。

本質は、表面上にどのような流れがあっても「じっとある」ということ
です。

まず、自分の本質を感じるために、心地よい感覚を維持して
過ごしてみてください。

簡単に言うと、「機嫌よく、気分よく過ごそう!」ってことです。

でもコレ、周囲からの刺激に依存するものではないのですよ。
「何か楽しいことがあったから嬉しい」とかではなく、
自ら「通常の状態をそうしておく」ってことですネ。

決まったやり方はありませんが、意識しておくことを
訓練することは、ある程度必要かもしれません。

自分を理解する=他人を理解する

『大切なことは、自分が何を得られるか?ではなく、
自分は何を与えられるか?ということです。』

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例えば、「優しい気持ち」で在るだけでは不十分で、
むしろ、優しさは人として当たり前のことです。

「優しい行動」「優しい言葉」といった、相手に対する
アクションを自ら起こすことが大切です。

「自分がされて嬉しいことを他人にしてあげましょう」
というような言葉もあります。

ただ、自分がどういうことを嬉しいと感じ、
何をどうして欲しいということが分かっていないと、
結局、他人に対して「何をどうすれば良いのかわからない」
ということになります。

つまり、自分を理解することが、他人を理解することに
繋がっていきます。
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自分を理解する上で、
「自己に対する安心感」は大切です。

自分の価値を認めるために、他者の判断やアクションに
頼らない、つまり、自分が認められる自分、納得できる
自分になることです。
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他人とのかかわりの中、「自分を分かってもらえない」
というときには、「自分も他者に対してそうではないのか?」
(他人を分かってあげていないのでは?)ということを
考える必要があります。

自分が正しい、自分は正しい。

この一方的な想いにとらわれず、素直な心で相手の考えや
気持ちに関心を向けて、一度、受け入れてみることです。

相手を受け入れることと、「しょうがない」と
諦めることは違います。

相手の立場にたって考えてみます。

「正しい、正しくない」ということより、そう在ることは
美しいか?そう在ることは幸せか?という判断もあります。
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「自分はなぜ、そうしてほしいのか?」ということを
自分自身で理解することが大切です。

求めているものが意識化できていないと
行動がはっきりしてこないのです。

そのためには
「自分がどういう考えで動いている、どういう人なのか」
ということを自分自身で知ることです。

納得できる生き方

『自分が納得できる生き方をしているだろうか?』
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ここでの「納得」の定義は、満足感あるいは幸福感…
満ち足りていると感じるか?といったところです。

例えば自分の仕事や経済状況において納得が
行かない場合。

お金に対しての恐怖(生活の心配、老後の心配などなど)
いうところの価値観も大切ですが「その時の見極め」も
必要です。

今在る環境が「納得」できずにいるとして。

そのことに対して受け身のまま、不満や怒りを
募らせているだけでは、何も変わることはないでしょう。

「何か方法はないだろうか?」

例えばライフスタイル、仕事を見つめなおす…など、
そういった自発的なアクションも大切です。
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また、ある程度納得できていたとしても、
「人生において、自分が学ぶべき事柄は尽きない」
という事を知りましょう。

その「納得」が独りよがりでないかどうかの
チェックは必要です。

「自分だけ満足」となっていないか、
「誰かとの比較の上に成り立つ幸福ではないか?」

自分の大切な人(家族、友人)や、あるいは多くの人と
分かち合える幸せであるかどうか…、ということも
考えてみます。

独りよがりにならないために、常に周囲に対して、
相手に対して関心を持ち、思いやりの心を向けて
おくことは大切です。

「自分のハートが満たされているかどうか?」という
ことをチェックしながら、もし「違っている」と感じる
ところがあれば、改善していきます。

ハートが満たされるアクションは、今までの自分の常識や
世間の常識に一致するとは限らないのです。

まずは自分のハートが納得する、健やかで清々しく感じる、
満足するアクションを起こし、自分を「幸せな気持ち」で
満たしてそれを感じてるみることです。

自分にとって「満たされた世界」を作るには、
自分が満たされていることが必要なのです。

意識的に生きる

『全ての人が、意図的に、意識的に、
一番良い形でかかわっていくことが大切です』

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世の中には様々な出来事が日々繰り広げられています。

そして、それらの出来事に対して、『そうだよねー』
『え?!何なの??』などなど、様々に考え、感じているかの
うようでいて、実はそのほとんどは「ただ反応している」
すぎないのです。

深く考えたり想いを巡らせる前に、その出来事の
知り得た範囲(提供された部分)だけに対して
条件反射してしまっている…という感じでしょうか。

例えば、その結果に至るまでの経緯や背景に対して、
あるいは当事者である「その人」に対して、などなど、
私たちはどれほどのことを知り、理解しているのでしょう。
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まず、
「自分はちゃんと知らない」ということを自覚する
ことが必要です。

そして何かの出来事に遭遇したり見聞きした時、そのことに対して
意識的にどうかかわっていくのか、どうすれば良いのかを冷静に、
愛の視点で判断し、そうしていくために、時には勉強することも
大事です。

日常レベルから「自分はどうしたいのか、どういった
アクションを起こせばよいのか」ということを意識して
おくことは大切です。

意識的に生きるという自覚を持ち、その意識を
自分の力で目覚めさせることが必要なのです。

「自分はどう生きていくのか?」
ということを考えてみましょう。

宇宙発?!~ほのぼのご一行様観劇会

4月某日の東京・日生劇場。

この日は私どもが人生の様々を学ばせていただいている
加藤shanthi徳子先生と、同じく学びの友であり
また大変お世話になっている2名様とともに、
計5名でのほのぼの観劇会を楽しみました。 続きを読む 宇宙発?!~ほのぼのご一行様観劇会