幸せな復縁を望むなら!「出会い直し」はいかがでしょう?

復縁するなら
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ホンネを言えば。
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「良かったあの頃に戻りたい」みたいな復縁は無理だよねー。
と、思っています。
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ただ、『出会い直し』の復縁なら。

「あの頃」より幸せになれる可能性もあるかな?とは思っています。
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別れたってことは。

そうなる出来事なり理由なり原因があったワケで。
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恋愛に限らず人生には「経緯(積み重ね)」ってもんがある。
で、二人の歩んできた時間、その積み重ねの結果が「別れ」だとすると。

二人が出会ってからのストーリーは、そこで一旦終了じゃないかな…と。
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それに、起こってしまったいろいろな出来事を「無かったこと」にするのは非常に難しいかも…。
私はそう思っているので。

だから、「良かったあの頃のように」という復縁は難しい、って思ってます。
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ただ、今まであったいろいろな出来事込みで『出会い直す』のであれば。
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お互いの良いトコロも悪いトコロも一から受け入れてていくつもりで。
なおかつ、以前とは違う分岐点を選びつつ、新しいストーリーを重ねていくのであれば。

その幸せは無限に広がっていると思います。
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一旦、「別れ」という結果を出した二人が「以前と違う結果」を出すには。
当然、「以前と違う経緯」を描かないとね…。

経緯を変えようと思うなら、どこか何かを変化させないと。
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そこで、最初はね。
『もう、同じ失敗は繰り返さない!』って頑張る。

でも、同じ顔、同じクセ、同じ声、同じ思考回路…と、とにかく双方に「以前と同じトコロ」が多いから、復縁は。
(当たり前だけど・笑)

時間経過とともに「元の癖」みたいなのが出やすくなる。
お互いに気が緩む…って言うのかな。
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脳の仕組みには「安定化志向」と「可塑性(かそせい)」っていうのがあるから、急な変化は苦手。
(これは生存本能の一部とも言えるので仕方ないんだケド)

だから、人間はそう簡単に「自分を変えられる」ものじゃない。
脳の仕組みがあるから、簡単に変われない。
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これも自分一人だったら「自分のペース」「自分の考え方」「自分のサイクル」、とにかく「自分」でどうにか努力もできるんだケド。
(時間をかけて繰り返し「新しい自分」を脳に刷り込んでいけば、「自分」を変えていくことはできる)
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ただ、復縁となると「相手あってのこと」だから…。
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同じ顔(同じ人)が目の前にいて、環境とか状況とかが同じだと、なかなか「新しい自分」を保っていくのは難しいかもしれない。

お互いに「相手のイメージ(以前の記憶)」があるから、それぞれの変化を受け入れていくには時間がかかるだろうし。
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自分が悪くて別れたんだったら。
もしも嫌みを言われることがあっても「自分のやったこと」として耐え、かつ、「心を入れ替えた新しい自分」を信用してもらえるまで続けないといけないだろうし。

相手が悪かったのであれば。
全てを水に流して、「新しい姿」を信じてあげる度量が必要だろうし。
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そういう部分も含めて。
復縁するなら『出会い直し』をしてみるのもアリかな?と思います。

正義を押し付けていませんか?

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ついつい、「相手をどうにかしよう」としてしまうことって、ありませんか?

当然、それは相手に「何らか」の原因があってのこととは思います。

彼の嫌なトコロ、良くないと思うトコロ、まぁ気になり方も色々で、
大好きな人だからこそ良かれと思い、気をもむ気持ちも分かります。

ただそれらの気になる部分はあくまで
「あなたの言い分、あなたの正義において」ということです。

同じような別れ方や喧嘩が多い人は、
「自分の正義ばかりを相手に押し付けていないか?」ということを
今一度、チェックしてみる必要があるかしれませんネ。
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基本的に、他人を変えることは誰にもできないと認識してください。

当然、誰かの言葉に影響されてその人が変わることはあるのですが、
それはあくまで「その人がその言葉を受け入れたから」つまり
本人が納得し、自分の意志で変わろうと思った、ということが前提にある場合です。

無理やり、考え方や価値観を強制して変えさせることは不可能に近く、
まして、ある程度の年齢を積み重ねた大人の場合、なおさら難しいのは
言うまでもありません。
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彼があなたの「お願い」を素直に聞いてくれないということは

・そのお願い自体が納得しかねる(お願いされる理由が理解できない)
・そもそも、彼自体がそのことに困っていない(あなたが困っていても平気)

まぁ、いずれにしても彼としては「それを悪いと思っていない」あるいは
「そもそも変わる必要がない」という認識です。
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ただ、どうしても「やっぱり大人として改善した方が本人のためだ」と
あなたが思うようなことなのであれば、相手が納得する言い方を
工夫するか、理解できる言い方を考える
よりほかありません。

誰だって、たとえその内容が合っていると内心思ったとしても、
「押しつけ」は快いはずもなく、男性にもプライドがありますから
「ハイ、そうですか」と言いづらい事情もあるでしょう。

彼が「分かったよ」と返事がしやすい話の持って行き方を工夫する必要もありますネ。
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恋愛も人間関係の一つの形態です。

何事も思いやりとマナー、親しき仲にも礼儀は必要です。

「正しいから」と思い込み、一方的な正義を振りかざすところには
必ず争いが生じています。
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そもそも、愛情があるからこそ一緒にいるのでしょうから、まずはその彼の
「良いと思う部分」を最大限に認めてあげることの方が大切です。

そしてあなたは「変えられない彼の欠点」に気をもむ暇があるのなら
自分がもっと幸せになるような自分の楽しみにその時間と
エネルギーを費やすことをおススメします。

彼が「こいつのために頑張ろうかな」と思うような彼女でいる努力、
というのも、大人女子においては大切なことです。
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アレコレ考えてやってみても、どうも伝わらない…ということもあるでしょう。

大丈夫、それは珍しいことではありません。

ただ、そういう時は、あなたが決断をしないといけないかもしれません。

結局、「その彼の欠点」が気になって笑って赦せないレベルなのであれば、
もう、あなたには彼が合っていない可能性が高いわけです。

前途の長い年代ならともかく、それほどでもない年代の人にとって、
時間ははるかに貴重なものです。

それはあなただけではなく、彼も同じです。

ですので、今後のお互いの幸せとお互いの在りようを深く見つめる
ということも、大人の恋愛では必要になりますネ。

今年は正念場かも

先日の内容…というより、先生にお会いした頃から変わらず
ずっと聞いていることの一つに、「大切な年」というキーワードがあります。

いつでも大切でない瞬間などありはしませんんが、特に目に見える
形での成果として、現れてくるのがここ数年での在りようだと
いう事ですね。

そういう意味での「大切な年」は、もうすでに始まっていますし、
昨年までの「在りよう」が成果となって表れてくるような感じです。

実際に私たちの周囲でも、去年までの頑張りの成果が出ている人が
多数存在していいますので、結果が出てくる年であることを
驚きつつも実感しています。

これは「気が付く人」と「そうでない人」に分かれてくるかもしれませんが、
本人の自覚に関係なく起こるようです。

今年は今後10年を左右するかもしれないくらいの特に重要な年に突入
しているようです。

今年からの三年間、まずは今年一年をめどに、とにかく
「継続してやる」ということを心掛けてみるといいかもしれません。

スクールのワークでも、各々が目標とする大きなビジョンを軸に
それぞれがその軸に沿ってこの一年間の自己の目標を立て、
チェックシートなどを作り、毎日欠かさず意識的に行うということを始めました。

もちろん、結果として立てた計画のすべてをちゃんと遂行していくことが
大前提ですが、むしろ「毎日欠かさずにやる」つまり「あきらめて止めてしまわない」
というトコロが最大のポイントになっています。

あとは、「どういう自分でありたいか?」ということを、とにかく明確にし、
「そうで在るように振る舞う」ということは大切かもしれません。

スクールにおいては明確に「今後十年が決まるほどの年」と明言されていますが、
大きな流れの動きを多くの人々が感じている中、これはやはり
多くの人々にとっても同じことが言えるのでないかな、と、私は受け止めています。

今までの在りようも大切なのですが、過ぎてしまった時間に想いを馳せても
何も変えることはできません。

今から。

今までやっていなかったこと、やりたかったこと。

そういったことがもし、あなたの心の中に存在するのなら、今からすぐに
始めるといいと思います。

今、その結果を受け取るのは難しいのかもしれなせんが、今、そこに向かって
できることを始めてみてください。

自分自身を取り戻せる時代に入ったのだと思います。

道志の湯へ行ってみたよ(神奈川県)

この日は埼玉から大阪に帰る途中に通りかかった、
神奈川県の「道志の湯」へと立ち寄りました。

相模原と山中湖を結ぶ国道413号線で案内看板を発見、
その看板が示す沢道をクネクネと進むこと数分…。

夕方とはいえ街灯も少ない暗い山道、少々不安な気分になってきたところで、
ようやくそれらしき看板が(笑)。
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うっすらと雪が残る夜の山道に見える温泉の看板は、
それだけで何故か心がホッと落ち着きます。

施設は予想していたよりもこじんまりした佇まいで、
さらにワクワク感が高まります!
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規模の小さい温泉は地元民の”銭湯”となっている場合がほとんどで、
しかもこの日は平日、かなり「入浴人口密度」は低いはず(笑)。

靴箱の鍵を受付に渡すと、脱衣所のロッカー・キーが渡され、
精算は帰りに行うシステムです。

この「道志の湯」は村営の温泉で、一般・大人の入浴料金は600円、
村民だけでなく横浜市民であれば割引料金があるようです。

館内案内は、こんな感じ。
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どうやら男湯・女湯が固定のようですね…。

入浴に関する総面積(浴槽の広さや個数)に、古い時代の名残を
感じずにはいられませんね、男湯の方が広いし!(笑)

まぁ、ほとんどの温泉がそうなんですケドね。

特に古い温泉などは、ほぼ、男湯の方がすべてに
おいて、優遇?されていますよね。

ただ、例えば小さな子供がいる家族連れなんかの場合、
子供はたいてい男女問わずお母さんとの入浴が大半で、
まず、それだけで密度が上がるのにー、とか、思っちゃいますね。

ですので最近では、男湯と女湯を日替わりあるいは週替わりで
入れ替えるところも増えてきているようですが。
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と、男性優位のシステムに対してのぼやきはこのくらいにして、
温泉に話を戻しまして(笑)。

予想通り「ほぼ貸し切り」状態での入浴です。
平日の地域密着型温泉の最大の楽しみはココにあるのですよー!

手足を存分に気兼ねなく伸ばしての入浴は、もう、それだけで
長旅の疲れが癒されちゃいますー。
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「道志の湯」の泉質はカルシウム・ナトリウム硫酸塩泉、
温泉臭はほとんどなく、ヌルヌル感もなく色は透明です。

たまに衛生面の配慮により、塩素臭のある温泉もあるのですが、
道志の湯では塩素臭は感じませんでしたね。

さて、お目当ての露天風呂は…
ヒノキと陶器の壺?風呂でした。

陶器製の壺風呂?は3個ありましたが、この日の稼働は1個のみ、
源泉温度が低くボイラーで沸かして使用しているようなので、
おそらく省エネというトコロでしょうね、公共施設だし。

近年リニューアルしたということで、まだ新しい感のある
ヒノキは綺麗で、ヒノキの良い香りを堪能できました。

ただ、コチラの露天風呂、しっかり壁と屋根に覆われているため
空は全くと言ってよいほど見えず、その空間自体は広いものの
開放感はありません。

ただただ外気と石床の異常な冷たさを満喫(要は寒い室内)です(笑)。
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お湯に匂いも色も感触も感じないので、入浴中は少し頼りない
気がしますが、上がってみればしっかりと体の芯から温っていて、
さすが温泉!といった感じで、しっかりと長旅の疲れも取れました。
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館内には休憩スペース、マッサージチェアー(有料)や食堂、
お土産ものの販売スペースもあります。

きっと、地元の方々の憩いの広場となっているのでしょうね。
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幸せなひと時を過ごさせていただきました。ありがとうございましたー!
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**愛車YAMAMORI号で、いつでも・どこでも・どこまでも!**

私たちが道中で見つけた「オモシロイ」をテキトーに綴った旅日記
「大阪発~車中泊で行く!やまもり計画珍道中」はFBにて公開中~!

ファーマーズキッチン・コドモにて

この日のお茶会ゲストはRちゃん。
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主婦業と仕事と自由人をバランスよくこなすRちゃんとは、
10年くらいのお付き合いになります。

Rちゃんはプロのライターで、本も出版してたりします。
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この日はRちゃんと数年ぶりのランチ・タイム。
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「よく深夜の事務所でイロイロな事、語ってたよねー」などと、
昔話に花を咲かせました。

実はRちゃんは以前私たちがいた劇団では、桃井文のPNで公演の原作書いたり、
劇団の後援会の機関紙にはボランティアで記事を書いたり編集なんかもしてくれてたな…と、
今、思い出した(笑)。

その頃はYAMAも私もホント必死で、よく、愚痴なんかも聞いてもらってたな…。

今では懐かしい笑い話。

ただ、当時のRちゃん的には一人苦手なスタッフのコがいて、
そのコとの思い出は今でも軽くトラウマな感じらしいデス(笑)。
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コチラの写真のYAMAとRちゃん、なにやら深刻そうですが…
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話しの内容はどーでもいー事だったりします(笑)。
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長らくゆっくりと会う機会もなかったけれど、久しぶりに
お話できて楽しかったなぁ。

忙しいのに時間作ってくれて、Rちゃんアリガトねー!
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ジャッジを手放す

そもそも私たちがシャンティ先生の学校に正式に通いたいと
思った一番のきっかけが、この「ジャッジを手放す」という部分でした。

人は意識的に、あるいは無意識的に他人をジャッジし続けています。

心が「ジャッジは疲れた、もう止めて」と悲鳴を上げていることに
ある瞬間、仮に気が付いたとしても、今までも惰性や慣性、あるいは
単純な条件反射の感情によって、時に、自力ではどうすることも
できずに、ただ雪だるま式に心の痛みを広げていくばかり…。

そんな状況に落ちいっている自分たちは、身も心もボロボロで、
その時点で、もう、自力ではこの悪循環を止められないような
気がしていた…のかもしれません(笑)。
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人はその都度「体験」をするために人として生まれるのですが、
ワンネスから生まれた瞬間から、例えば今回の地球人として生まれてくるまでの
間の人生経験による「クセ」を、沢山身につけた状態があります。

前世での記憶は基本、リセットされているのが普通ですが、
心の癖(嗜好や感情や時には生き方の洗練度なども)が魂レベルで
刷り込まれている…これは遺伝子の話にもつながっていきますが、
とにかく、生きてきた情報は蓄積されているのです。

前世という過去だけでなく、それは今回の人生でも
日々、その蓄積は行われています。

そういった人としてのスキルのようなものは、生きる上で
必要なものの一つです。

ただ、核になる部分に本質=その人の神性があるとして、
そういったクセはその表層を包むような状態です。

ですのでその相手や、あるいは出来事をあまりに表層の部分だけで
判断してしまうと、真実が違ってくる、ということです。

ジャッジを手放すには、表層の内側にある本来の神性、
それそのものを感じる、本質を見るという練習をすることが必要です。

さらに本質は思考で理解できるものではなく、
感じることしかできないものである、ということです。
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こういった内容を学び進め、ジャッジそのものを理解し、
正しく手放すその方法を訓練していくことで、
私たちは徐々に手放せるようになり、苦しみから解放されました。

まだまだ完璧ではなく、おそらく一生、この訓練の連続に
なるのですが(笑)、少なくとも自らがあえて苦しみの連鎖を
生み出すことだけは、限りなく少ないのではないかと思っています。
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どのような苦しみであっても必ず、その根源となるものは
自分の心の内に見出せるものだと、今では実感しています。

それに気がつくことができれば、自分自身の問題を解決してくことが
これまでに比べて、遥かにスムーズになります。

自分自身の本質と神性(宇宙)に気づく

「すべてに共通する本質、つまり普遍のエネルギーが
私たちを存在させている」ということです。

スピリチュアルに詳しいかたはよくご存じかと思いますが、
一般の物理的に理解される細胞とかの意味ではなく、
もっと、細かい粒子単位、「光」とか言われている
そういうエネルギーのことですね。

例えばその「光」を神性とすると、その神性をできるだけ
長く感じるようにしてみます。

瞑想によって自分の神性を感じること、道徳観、思いやりを
高めて、あらゆるものに対して「神性を感じる」ことを実践
していくのです。

まばゆい光が見えたり、高次元の存在からの声が聞こえたり、は
基本ありませんし、そういう不思議も必要ないです(笑)。

ま、人によっては体験するようですが、そういうトコロはさほど
重要ではなく、自分自身が「感じられるか?」あるいは
「感じようとするか?」「感じているか?」が大切となります。

ただ、慣れないうちは思考で理解しようとする場合の方が
多いですネ(私たちもそうですが)。

そういった思考が邪魔をするときは、その思考の本質にも
目を向けてみます。

人に対しては「尊いもの」として接し、その人そのものとして接する、
つまり、その人の神性を感じ受け入れる…ということになるでしょうか。

人に限らず、すべてに対して「そのように振る舞う、接する」ことも
大切です。

本質は、表面上にどのような流れがあっても「じっとある」ということ
です。

まず、自分の本質を感じるために、心地よい感覚を維持して
過ごしてみてください。

簡単に言うと、「機嫌よく、気分よく過ごそう!」ってことです。

でもコレ、周囲からの刺激に依存するものではないのですよ。
「何か楽しいことがあったから嬉しい」とかではなく、
自ら「通常の状態をそうしておく」ってことですネ。

決まったやり方はありませんが、意識しておくことを
訓練することは、ある程度必要かもしれません。

自分を理解する=他人を理解する

『大切なことは、自分が何を得られるか?ではなく、
自分は何を与えられるか?ということです。』

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例えば、「優しい気持ち」で在るだけでは不十分で、
むしろ、優しさは人として当たり前のことです。

「優しい行動」「優しい言葉」といった、相手に対する
アクションを自ら起こすことが大切です。

「自分がされて嬉しいことを他人にしてあげましょう」
というような言葉もあります。

ただ、自分がどういうことを嬉しいと感じ、
何をどうして欲しいということが分かっていないと、
結局、他人に対して「何をどうすれば良いのかわからない」
ということになります。

つまり、自分を理解することが、他人を理解することに
繋がっていきます。
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自分を理解する上で、
「自己に対する安心感」は大切です。

自分の価値を認めるために、他者の判断やアクションに
頼らない、つまり、自分が認められる自分、納得できる
自分になることです。
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他人とのかかわりの中、「自分を分かってもらえない」
というときには、「自分も他者に対してそうではないのか?」
(他人を分かってあげていないのでは?)ということを
考える必要があります。

自分が正しい、自分は正しい。

この一方的な想いにとらわれず、素直な心で相手の考えや
気持ちに関心を向けて、一度、受け入れてみることです。

相手を受け入れることと、「しょうがない」と
諦めることは違います。

相手の立場にたって考えてみます。

「正しい、正しくない」ということより、そう在ることは
美しいか?そう在ることは幸せか?という判断もあります。
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「自分はなぜ、そうしてほしいのか?」ということを
自分自身で理解することが大切です。

求めているものが意識化できていないと
行動がはっきりしてこないのです。

そのためには
「自分がどういう考えで動いている、どういう人なのか」
ということを自分自身で知ることです。

納得できる生き方

『自分が納得できる生き方をしているだろうか?』
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ここでの「納得」の定義は、満足感あるいは幸福感…
満ち足りていると感じるか?といったところです。

例えば自分の仕事や経済状況において納得が
行かない場合。

お金に対しての恐怖(生活の心配、老後の心配などなど)
いうところの価値観も大切ですが「その時の見極め」も
必要です。

今在る環境が「納得」できずにいるとして。

そのことに対して受け身のまま、不満や怒りを
募らせているだけでは、何も変わることはないでしょう。

「何か方法はないだろうか?」

例えばライフスタイル、仕事を見つめなおす…など、
そういった自発的なアクションも大切です。
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また、ある程度納得できていたとしても、
「人生において、自分が学ぶべき事柄は尽きない」
という事を知りましょう。

その「納得」が独りよがりでないかどうかの
チェックは必要です。

「自分だけ満足」となっていないか、
「誰かとの比較の上に成り立つ幸福ではないか?」

自分の大切な人(家族、友人)や、あるいは多くの人と
分かち合える幸せであるかどうか…、ということも
考えてみます。

独りよがりにならないために、常に周囲に対して、
相手に対して関心を持ち、思いやりの心を向けて
おくことは大切です。

「自分のハートが満たされているかどうか?」という
ことをチェックしながら、もし「違っている」と感じる
ところがあれば、改善していきます。

ハートが満たされるアクションは、今までの自分の常識や
世間の常識に一致するとは限らないのです。

まずは自分のハートが納得する、健やかで清々しく感じる、
満足するアクションを起こし、自分を「幸せな気持ち」で
満たしてそれを感じてるみることです。

自分にとって「満たされた世界」を作るには、
自分が満たされていることが必要なのです。

意識的に生きる

『全ての人が、意図的に、意識的に、
一番良い形でかかわっていくことが大切です』

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世の中には様々な出来事が日々繰り広げられています。

そして、それらの出来事に対して、『そうだよねー』
『え?!何なの??』などなど、様々に考え、感じているかの
うようでいて、実はそのほとんどは「ただ反応している」
すぎないのです。

深く考えたり想いを巡らせる前に、その出来事の
知り得た範囲(提供された部分)だけに対して
条件反射してしまっている…という感じでしょうか。

例えば、その結果に至るまでの経緯や背景に対して、
あるいは当事者である「その人」に対して、などなど、
私たちはどれほどのことを知り、理解しているのでしょう。
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まず、
「自分はちゃんと知らない」ということを自覚する
ことが必要です。

そして何かの出来事に遭遇したり見聞きした時、そのことに対して
意識的にどうかかわっていくのか、どうすれば良いのかを冷静に、
愛の視点で判断し、そうしていくために、時には勉強することも
大事です。

日常レベルから「自分はどうしたいのか、どういった
アクションを起こせばよいのか」ということを意識して
おくことは大切です。

意識的に生きるという自覚を持ち、その意識を
自分の力で目覚めさせることが必要なのです。

「自分はどう生きていくのか?」
ということを考えてみましょう。