澄み切った大空を羽ばたくように
清々しいまでに心を開放できたなら。
そんな風に思ってみたりもします。
例えば一人穏やかな日差しに包まれ、
のんびりと過ごせる瞬間に。
目を閉じ静かに深呼吸してみる。
するとそこにはどこの国の景色とも分からない、
ただ透き通る大空が 心の内に無限に広がるのです。
そして次の瞬間。
目を開けばそこには今ある日常が
無限に存在するかのように感じるのです。
::::::加藤shanthi徳子先生のブログより引用:::
この地球上ではあらゆるものが
様々なあり方で様々な表現をしています。きらめくこの世界の多様性。
この多様性を、それに振り回されたり、
混乱したりすることなく自由に楽しめるようになるには、
ハートの声に耳を傾け、ハートを開いて
様々な体験をしてみることが大切です。
ある見方をすると、日常の雑踏の中には
苦痛から快楽まであらゆることが混在します。
ただ、それらの全ては”ただあるのみ”
なのではないかと思うのです。
::::::加藤shanthi徳子先生のブログより引用:::
時に私たちは不快に思える体験をしたり、
不快な感情を感じることがあります。そんな時私たちのマインドは、
そういうことは体験してはいけない。
そういうことは体験したくない。
そういうことを感じてはいけない。
そういうことは感じたくない。などと考えて、
自分自身のハートが求める体験を避けたり、
ハートが感じていることを無視しようとしたりします。そうすると、せっかく何かを経験したり、
感じたりする機会があったとしても、
十分に体験し、感じることができないので、
その体験により気づくはずのことに気づいたり、
学べるはずのことを学べなかったりして、
世界に対しても自分自身に対しても
誤った認識を持つことになってしまいます。そして、その結果この世界のあらゆることに
反応し、翻弄され、混乱し、
自分自身の本当の姿を見失い、
本当の自分自身の表現やあり方が
できなくなっていきます。
純粋に。
“感じる”ということに感性を
研ぎ澄ますことができれば。
今まで苦痛や喜びと思っていた
あらゆる出来事に、新しい何かを
発見するのかもしれませんネ。
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※ハートの日光浴がしたいな、と思うときに。
“やまもりねぇさんず”の師匠のブログはおススメです☆