等価交換?


不要な不安や得だと勘違いしている
欲を捨てることで、それとは対極にある
「本来得たかったもの」を手にするというのは、
等価交換の法則としても知られているねんケド。

古来、日本にもあるお百度や祈願、
呪術というのは、その法則に由来しているのか?
とも思う。

何かを犠牲にして(差し出して)何かを得る
というもので、まぁ、生贄とかも、それやな。

ただ、この等価交換を勘違いしている人は
多いかもしれへん。

つまり
「自分にとって価値があるものを手放してこそ」
という、そのどこか悲哀感、悲壮感を伴う、
身を切るような交換を必要とするような
ニュアンスは、日本人的には美意識に
訴えかけられなくもないが、本来はあまり
無関係ではないかと思う(まぁ、望むものにもよるけど)。

例えば。

他者の生命を奪うような呪術の場合は、
当然自分ないし自分の生命と等しい
価値のあるものを差し出す必要はある
かもしれへんなぁ。

でも、自分の幸せに関する等価交換の場合、
多くは自分の範疇の内容で事足りるわけやから、
それほど大げさに考える必要もないかと思う。

ちなみに。

私の場合は「人をうらやましがる」とか
「人の悪口を言う」とか、それは確実に
私の一部分であり、なのでそういうのを
捨てているけれど、特に支障もなくむしろ
良い状況になることの方が多いのが現実だったりする。

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